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助けてもらえることの有り難さ

今日、電車内で、JRの、コマーシャル映像を見たのん。

「プラットホームの線路際を歩いている人や、体調の悪い人には、一声かけてあげよう」って内容の。

それで、色々思い出したことがあって。

以前伊勢詣での旅行記事をアップしてましたが、三重に向かう、その往路での出来事なんだけど。

朝の時間で、人もまだラッシュ程ではないけど割といて、私は、通路に立っており、神戸辺りで体調を崩しまして。

車内はエアコンが効いていて、私には肌寒く、鳥肌なのに、汗がどんどん吹き出てくるという訳わからん状態に。

クラクラしてその場にしゃがみ込んでしまったのだけど、そこで親切なご婦人が席をどうぞ、と代わってくれました。

私は、「すみません、ありがとうございます」と言うのが精一杯だったのだけど、本当に助かり、梅田に到着する頃には、回復することができました。

弱っている時って、通路であるにも関わらず、しゃがみ込んでしまったりするのだけれど、周りからするとお行儀悪いな、と誤解することもあると思うの。

逆の立場で、そこで、「大丈夫ですか」と声をかけるのは、少し躊躇してしまう場合もあるだろうしね。

それでもお声がけ頂ける有り難さ。

素直に甘えることができるのも、善意あってのことと思えます。

だからこそ、

善意って、当たり屋とか当られ屋みたいな人が大勢いる世の中になると、恩を仇で返されたりしますやん?

ただでさえ、見ず知らずの人に、何かしらの声掛けって勇気いるのに、そんなことになったら、声かけんの止めようってなってしまうから、

そのことがこわいなと思います。

コマーシャルの影響だけでなく、自分が受けた親切のお返しは、どなたかにしたいな、と。

情けは人の為ならずって言いますものね。